梅花和雪香
10年に一度と言われる強烈な寒波に伴い都内でも夜半過ぎに雪が降る可能性があります(1/27現在)。1月の雪は相馬雪香(難民を助ける会創始者、日英同時通訳の草分け)を思い出させます。相馬雪香は憲政の父・尾崎行雄の末娘として1912年1月26日に生まれました。梅花和雪香(梅花雪に和して香し)。日本の七十二候では、この日辺りが一年で一番寒くなると言われる水沢腹堅(さわみずこおりつめる)。尾崎行雄は1月の寒さ厳しい雪の中で香気を放つ梅の花に自らの人生を重ね、50歳を過ぎて授かった愛娘に名前を付けたのだと思います。
冬の時代に何を為すか
1903年から12年まで尾崎行雄は衆議院議員でありながら東京市長でした。東京市長の職に専心するあまり中央政界での活動は少なく、新聞に「愕堂既に死せり」と書かれたそうです。しかし10年近くに及ぶ東京市長としての活動は1912年の犬養毅との憲政擁護運動、13年の有名な桂内閣弾劾演説、14年の山本内閣弾劾演説、その後の大隈内閣での司法大臣就任へと結実していきます。また1919年に第一次世界大戦後の欧州を視察し戦争に勝利者のいないことを確信し、平和主義・国際主義に政治路線を転換します。こうして見ると、尾崎行雄の後半の政治人生の土台は中央政界から見れば冬の時代を過ごした時期に培われたと言えるかもしれません。
学び続け社会のために行動する
尾崎行雄の平和主義・国際主義を受け継いだ相馬雪香が60代で難民支援NGO「難民を助ける会」を創設し、日本社会に住む私たちに「心の開国」を訴えました。私たちの社会・国、そして私たち自身は憲政、国民主権、国際協調、あるいは平和、人権、人道の観点から国際社会に名誉ある地位を占められるような存在でしょうか。春の先触れとして寒さ厳しい雪の中に咲く梅があるように、私たちには尾崎行雄と相馬雪香の生き方がお手本としてあります。生涯を通じて学び社会のために行動した生き方です。先人の生き方に倣い、私たちもこの社会をより良くしていくために今年もご一緒に学んでまいりましょう。
学堂会代表 太田敦之