人生の本舞台は常に将来に在り

2022年10月25日の衆議院本会議で、野田元首相が安倍元首相への追悼演説を行いました。そこで気になったことが一つありました。尾崎行雄の格言が少し間違って引用されたことです。正しくは「人生の本舞台は常に将来に在り」のところ、「向けて」が追加され、「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」となっていました。以下のところです。
“憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で失いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」 安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来にあったはずではなかったのですか。”

言葉の力
何故、野田元首相が尾崎の言葉を変えたのか、その理由は分かりません。しかし、「向けて」を加えることで、尾崎が言葉に込めた気概、言葉が持つ力強さが無くなりました。何より他人の言葉を変えて引用することは演説でも論文でもしてはいけないことです。「神は細部に宿る」という言葉があります。野田元首相は演説の中で“あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿る”と言っていますが、先人の言葉を変えて引用することは「言葉の力」を軽視しているように思えてなりません。

本来の言葉の背景
尾崎がこの言葉を得た背景は次の通りです。1931年春、73歳の時に遊説中に風邪をこじらせ肺炎となり心身ともに疲弊し、病床で政治家としての人生を一瞬あきらめることも脳裏に浮かんだそうです。そのような時に得た人生観が「人生の本舞台は常に今日以後にあり」でした。肺炎から回復した尾崎はカーネギー財団に呼ばれ同年8月に渡米。しかし、外遊中の1932年に盟友の犬養毅首相が暗殺され、妻テオドラ英子が英国で病死。尾崎は失意と新たな決意を抱いて1933年に英国から「墓標に代えて」という論文と共に帰国し、日本での政治活動を再開しました。1935年の著書「人生の本舞台」で「人生の本舞台は常に将来に在り」と記して以後、この言葉は尾崎にとって「再チャレンジ」の言葉であったと同時に、尾崎の死後も、今を生きる全ての人たちを勇気づける言葉として存在しています。

問い続けることは何か
演説で野田元首相は“私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでもより良きものへと鍛え続けていくしかないのです”と訴えました。主権者である私たちこそが、「言葉の力」を鍛え続けなければ民主主義の維持発展はおぼつきません。私たちが選んだ議員が「言葉の力」を軽視しているのであれば、私たち自身の間に「言葉の力」を軽視する文化が醸成されているとみるべきです。そして、第二次安倍政権の在り方がそのことにどのような影響を与えたのかこそ、安倍元首相が「遺したもの」として、私たち主権者一人ひとりが問い続けるべきことです。

この記事を書いた人